脳脊髄液減少症とは?

2)★【脳脊髄液減少症】怪我から病名に辿り着くまで・・・

医大の診察に疑問を持つまで6年の月日が流れていましたね…

☆ 一般的に、医大のDr.の診察には、絶対的な信用があります。私も医大での診断だから間違いないという気持ちは大きかったです。

・娘、萌美がこの病名に辿り着くまで、8年と少しの時間がかかってしまいました。

・親として、もう少し早く、気が付いていたなら・・・っと、悔やむことは沢山ありますが、時間は懸かってしまいましたが、この病名に辿り着け、治療を受けられることになり、本当に嬉しい限りです。

・萌美が、小学校2年の夏・・・生活科の授業で畑を見ながらの授業を受けていたときに、クラスメイトの男の子と口論になったそうです。

・げんかでは、相手を言い負かし教室に戻ろうとしたときに、その男の子は、いきなり、背中に飛び蹴りをしてきたらしいのです。家に帰り、娘の後姿を見たとき驚きましたね・・・

・背中にくっきりと足跡が・・・

「どうしたの?」 と、娘に尋ねると

「 ○○に蹴られた・・・」 というので、「 怪我は無いの?」 と、聞いてみた。

・すると「 何となく首が痛い…吐き気もするんだよね・・・」と、言うので、診察時間を少し過ぎていましたが、近くの整形外科に連れて行き、診察をしていただきました。レントゲン検査の結果、【頚椎捻挫】 完治まで3週間の診断でした。

・「首の固定をした方が治りは良いが、夏なので湿布だけにしましょうか?」と、Dr.に言われたの

で、固定をせず、湿布と包帯を頂いて帰ってきました。念のため、学校へ連絡し、相手のご家庭に連絡をしていただいたのですが…やはり、見た目に見える怪我ではないので、学校側も親御さんも軽い気持ちであったようですね…

・それから、2ヶ月ほどして、頭痛を訴えるようになり、A医大に通院…

そのときの担当医は、「ストレス性のものでしょう…肩もがちがちですね。」 と、おっしゃって、鎮痛剤の処方と他院の整形外科でのリハビリの処方を受け、半年ほど通院したのですが、改善は見られず…

・歯の噛み合わせから来ているのかも・・・?と考え、矯正歯科に通院・・・あわせて、小児科でカウンセリングのような診察を月に1回ずつ受けていました。

・丁度、その頃、私が体調を崩し、2月ほど入院…夫が、転勤で単身赴任することになったりと、娘には、悲しい出来事が沢山ありましたね…

・小学校3年生頃から、多分…いじめがあったと思います。ただ、私の体調が悪く、家で休んでいることが多かったので、自分の悩みは口にせずにいたのだと思います。

・そんなこともあり、娘の体調の悪さは、心の問題だと、私自身も思うようになりましたね・・・

・その後、頭痛は以前より辛くなり、眩暈や耳鳴りを訴えるようになりました。

医大での担当医が変わり、MRI検査、聴力検査、脳波検査、知能指数検査、起立性調節障害の検査など、思いつく検査は全て受けました。結果は、どれも異常なし…

・しいて言えば、当時、知能指数が高かったため、「考えすぎで頭がオーバーヒートを起こしている状態ですね…頭を少し休めるようにしましょう。」 とのお話でしたね…

・小学校5年生頃から、視力の低下が始まり、眼科での診察を受けましたが、「 この子の眼は1.5まで見える眼をしいています。見えないのは、精神的なものでしょう…」と言われ、しばらく経過観察をすることになりました。

・その頃、体力も弱り、疲れやすくなり、頭痛や眩暈を訴えることが多くなり、風邪もひきやすくなりました。

・学校でも、「ずるしてる」 とか「 仮病だ」 と、陰口を叩かれ、陰湿ないじめがあったと後で聞かされました。

担任教師と何度か話しましたが、結果が出ないので、小学校に行かせることをやめました。(その他にも色々な事があったのですがね…)

・小学校6年になり、A市教育委員会で行っている不登校児の受け入れ先である『ゆっくらす』 に、校長の許可が下りる前に入所し、1年間心のリフレッシュに勤めました。

・学校がストレッサーだと思い込んでいたのですが…『ゆっくらす』に通うようになっても、頭痛・眩暈・集中力の散漫などの症状は治まりませんでしたね…

・その頃の医大での病名は『 注意欠症』…所謂『多動症』…AD/HDと同じく学習障害と診断されていましたね…親としてのショックは大きかったです。

・その後、学校区外の中学校に進学・・・少人数の学校で、教職員・生徒さんの温かい気持ちをいっぱい受けての中学校生活でしたが、体育教師だけは、『 精神敵意弱すぎ!!』・『親が甘すぎ!!』 と、親子共々注意を受けましたね…

・両足を捻挫(今思えば、ふらつきが、原因だったと思うのですが…)したときも、激しい頭痛のときも体育の授業に参加させられていました。

それを担任教師や養護教諭が必死に守ってくださったり、他の生徒さんが庇ってくれたりで、何とか乗り切っていたようです。

・そのときの症状は…

頭痛・眩暈のほか、耳鳴り・睡眠障害・軽い味覚障害と嗅覚障害・体温調節障害でした

精神的に追い込ませていたせいか、「自分は、人格障害かもしれない…」 と言い出しました。

・医大での診断は『鬱』・『 若年性更年期障害』でした。

常に心の病としての診断でした。

丁度その頃、視力の低下が激しくなり、裸眼で0.1以下になったため眼鏡をかけることに…

・私の中で、『心の病とは違う』 という、疑問が浮かんだのはその頃からですね。

子どもは、楽しいときには痛みを忘れるものです。しかし、娘はどんな楽しいときも、体調不良を訴える…

・そして、目つきですね…

一般的に鬱状態のときは、瞳が、まるで人形のように見開き、表情は無くボーっとした

感じになるのですが、娘の場合、それは見られませんでした。

医大の診察に疑問を持つまで6年の月日が流れていましたね…

・一般的に、医大のDr.の診察には、絶対的な信用があります。

私も医大での診断だから間違いないという気持ちは大きかったです。

・それでも、他の脳神経外科や整形外科に行っても、はっきりとした診断はいただけず、

西洋医学がだめなら東洋医学で・・・と『姿勢が悪い』と言われれば整骨院や整体…カイ

ロの治療を受けさせ、『アロマセラピーが有効だ!』と、聞けば札幌までアロマの勉強

をしに行き…考えられることは、全てやってきました。(臭覚に異常があるためアロマは、激しく拒

否されてしまいましたが…)

・病名も治療法も解らないまま、時間だけが過ぎ…

高校へと進学…視力は0.03まで低下、頭痛・眩暈・聴覚・嗅覚の異常が激しくなり始める。

お弁当の時間、他の子のお弁当の匂いやお菓子の匂いで食欲が無くなり、お弁当はおに

ぎりのみの日か続く…次第に味覚障害も激しくなり、お弁当は白いご飯にふりかけのみ、お茶はすっぱく感じるので真夏でも熱いお茶を持参。

体温調節も上手くできず、真夏でもセーター着用の日々が進む。

・一向に症状の改善が見られず、専門医も見つからないまま、インターネットで検索する

日々が続く…そんな中、たまたま手に取った雑誌で【脳脊髄液減少症】 という病名と

症状を目にし、帰宅後インターネットで調べると、問診票があり、試してみると50項目

中48項目が当てはまった。

★「この病気に間違いない!!」 という確信を感じましたね…

・だけど、今度は、病院が探せない…

インターネットで【脳脊髄液減少症】の患者さんたちのブログに入り込み情報収集をし

ながら、治療できる専門医を探していただいたのです。

・何件かの病院の所在地・裏情報を教えていただき、O市の病院に問い合わせをし、この冬休みにやっと、T先生の元で診察・検査をしていただくことが出来、3月に医療していただくことになりました。

病名を知ってから、半年かかりましたね…

★本当に長かったです。

病名をお聞きしたときには、嬉しくってガッツポーズをしてしまいましたよ。

時間がかかってしまいましたが、専門医がわかり治療をしていただけることになり、宝くじが当たったかのような気持ちです。

それくらい、同じ症状で長く苦しんでいられる方が多いのです。出来るだけ多くの方に、この病気のことを知っていただきたいと思います。